井上章一著「美人論」を読みました。
井上章一さんは、「京都ぎらい」がベストセラーになったことで知りました。
もともとは建築の専門家だったようですが、今は文化論などの方が有名かもしれません。
なお、先日読んだ、森博嗣さんも、もともとは建築の先生で、あとから小説家になった人です。
森さんと井上さんの対談とか、あったら読んでみたいですね。まったく建築の話をしなさそうですが。
さて、井上さんの著書は、かなり独特です。文章が、ねちっこいというか、ねばっこいというか・・・。なんだか変なのです。
まあ、それもまた、井上さんの「味」なのかもしれませんが。
で、文章だけでなく、文章展開も、変なんです。
本書は、いきなり、美人は罪悪である、という話から始まります。
明治時代には、そういう「美人罪悪論」というものがあったのだという話です。
しかも、それが学校の教科書にも載っていたというのです。
- 美人は、堕落しやすく、人生を失敗しやすい。
- 不美人は、学問が学べて、成功しやすい。
トンデモない理屈ですが、そういうことが、学校の教科書に載っていたのが、明治という時代だったのです。
じゃあ、どうしてそんな理屈になったのか?
もちろん、当時の教科書を作っていたひとたちも、何もないところから、こんな理屈を思いついたはずはありません。それなりに、時代背景があったはずなのです。
ここをきっかけにして、著者は、現代と明治の違いを、ひもといていきます。
そこで明らかにされるのは、身分社会が解放されるということと、いわゆる「面食い」と呼ばれる男たちの出現だったのでした。
ふつう、「美人論」と言われれば、
- どんな顔が美人なのか
- 美人とされる人の条件
などが書かれていると思ってしまいますが、本書を読んでも、どんなひとが美人なのか、分かるわけではありません。
いやむしろ、本書の中では、美人の定義は拡散してしまいます。
世の中は、いろんな美人がいる、という方向に進んでいます。
美人をめぐって、
- 社会がどう対応していたのか、
- 建前はどうなっていたのか、
- ひとびとの意識はどうなっていったのか、
といったことが、
- 明治以前(江戸)、
- 明治、
- 戦前、戦間期(大正、昭和初期)、
- 戦後(80年代まで)
で、比較され、その間の理屈を、井上さんの頭脳が補っていきます。
明治時代に美人に生まれたひとは、学校を卒業する前に、名家に嫁ぐことになりました。
このため、勉強をすることができなかったといいます。
学校の先生たちも、結婚のあっせんすら、したといいます。
そんな時代が、100年ぐらい前にあった、というのは、いまとなっては不思議です。
本書が書かれたのは、1980年代なので、当時、当然だとされていたことも、現在(2020年代)から見ると、不思議に見えることもあります。
たとえば、1980年代の顔の良い女性は、就職しても、すぐに結婚するので、ほとんど仕事をしなかったそうです。いわゆる、「腰かけ」と呼ばれた人々です。
2020年代では、結婚しても、出産しても、仕事を辞めない人の方が多いことでしょう。
でもそれも、必ずしも当然のことではなかったのだなぁ、ということが、本書からうかがえます。
また、たとえば本書では、男性の容貌(イケメン、ブサイク)については、かなり記述が少ないです。
もし、いま、同じ著作を書こうとしたら、本書で展開されている記述の2倍か、3倍ぐらいは必要でしょう。
しかしそれもまた、本書が時代を超えて、読まれうる価値のひとつと言えるのかもしれません。
本書は、美人というものを通して、その社会を見ることができる、とても稀有な本だと思います。
文庫本で、文章量もそれほど多くないので、ぜひ、読んでみてください。