【ちきりんさんの問題を考えよう】 処罰か、更生か

ちきりんさんのこの記事この記事が面白かったので、わたしも「考えて」みました。

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どんな問題か、ざっくり要約すると、以下の通りです。

ふつうの犯罪者は、処罰として処刑されたり、更生するための再教育を受けたりします。
この「処刑か、更生か」という判断を、歴史上の人物に適用するとどうなるでしょう?

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1つ目の記事では、フランス革命によって処刑されたマリーアントワネットが、
2つ目の記事では、太平洋戦争敗戦になったが処刑にはならなかった昭和天皇が、
それぞれ取り上げられています。

歴史上の彼らを、フラットに、理屈だけで考えたとき、
処刑されるべきだったのか? それとも更生されるべきだったのか?
それを考えようというのが、ちきりんさんの提起する問題です。

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わたしは学生時代から歴史は得意ではなかったのですが、
(フランス革命が1789年ということさえ忘れていました)
理屈だけで考えてみて、どこまで考えられるか試してみました。

1日ほど考えてみたのですが、
考えるときのポイントは、ルールの適用範囲なのかなと思いました。

「ルール」という言葉がひっかかるようであれば、
「価値観」とか「世界観」みたいに読み替えてもいいと思います。

少し回り道になりますが、まずそのことを確認しておきます。

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普通の犯罪は、犯罪を起こす前から法律があって、
犯罪をおかしたあと、その法律で裁かれます。

つまり、

  • ルールA(たとえば刑法)がすでにあって、
  • 【犯罪をおかす】
  • ルールAのもとで裁かれる

という順序です。

ここには、何も問題ありません。
だって、最初から法律が適用されているから。

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ところが、革命は違います。
マリーアントワネットが処刑されることになるフランス革命であれば、
革命前は封建的な身分制であり、
革命後は資本主義や自由主義になります。

つまり、

  • ルールA(たとえば国王、王妃という身分制)があったが、
  • 【フランス革命が起こって】
  • ルールB(王妃という身分などない)が適用される

と、ルールが変わっているわけです。
このとき、ルールBのもとで、マリーアントワネットは処刑されます。

戦争も、ある意味では同じ構造をしています。

  • ルールA(明治以降の政府)があって、
  • 【敗戦】
  • ルールB(GHQなどの影響下にある政府)になります

このときも、東京裁判などはルールBのもとで裁かれるわけです。

普通の犯罪者は、犯罪をおかした時点と、裁かれる時点のルールは同じですが、
歴史上の革命や戦争では、その前後で、
革命や戦争に至るまでのルールAと、裁かれる時点のルールBとで、
ルールが変わっているわけです。
革命や戦争では、ルールBの範囲外の出来事を、裁いていることになります。

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さて本題です。
ルールの適用範囲の違いを前提として、
今回の問題をどう考えてみれば良いのでしょうか。

ふつうの犯罪者は、
法律が自分に適用されることを知っていて(少なくとも知っている「べき」で)、
その同じ法律で裁かれます。

ところが、革命や戦争では、
既存のルールAが続いていれば(もし革命が起こらず、戦争に負けなければ)
ルールAのもとでは、そもそも裁かれることも無いわけです。

そもそも、ルールBの適用以前の問題を、ルールBで裁くというのは、
後出しじゃんけんみたいなもので、これを正当化する理屈はありません。

別の言い方をすれば、後出しじゃんけんを正当化するためには、
理屈ならぬ理屈(つまり「政治的な理屈」)を持ち出す以外に方法はありません。
まさにそれこそが、「政治的」の意味です。

ちきりんさんも、2つ目の記事で「政治的に利用するため」に
昭和天皇は処刑されなかったと書かれています。
しかしむしろ、「政治的にしか」処刑するかどうかの判断はできないと思います。
このときの政治判断に、政治以外の理屈が入り込むことはないのではないでしょうか。

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というわけで、ちきりんさんの問題に対する、最初の答えはこうなりました。

(答え1):革命や戦争と、普通の犯罪は違うので、犯罪の処刑/更生という判断を革命や戦争にあてはめることはできない。革命や戦争は、政治的にしか解決できない。

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まあ、これはこれで、ひとつの答えではあると思います。

とはいえ、「それじゃ面白くないよね」、とも思いました。
そこでもう一歩、問題作成者であるちきりんさんに歩み寄ってみます。

歴史上の問題に、現代の価値観(ルールC)を追加します。

  • ルールA(王妃の身分制)
  • 【フランス革命】
  • ルールB(王妃の身分は無い)
  • 【時は流れて・・・】
  • ルールC(現代の平等観)

もしくは、

  • ルールA(明治以降の日本政府)
  • 【敗戦】
  • ルールB(戦後すぐの日本政府)
  • 【時は流れて・・・】
  • ルールC(現代の日本政府)

後者については、ルールBの延長上に現代日本がありますから、
BとCをどこで区切るかは、ひとによって考え方が違うでしょう。
ルールCはルールBのままだ、と考える方がいてもいいと思います。
そう考える方はその前提で、考えを進めていきましょう。

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ルールCを追加すれば、ちきりんさんの問題は、

  • 当時の状況(ルールAとかB)はいったん無視して、
  • 現代の理屈(ルールC)だけが、すべての時代に適用されているとしたら、
  • あなたには、歴史上の人物を、同じ理屈で裁けますか?

という問題に読み替えられます。

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この問題については、いろいろな考え方があると思います。
現代社会の特徴を、どう切り取るかで、答えが変わるからです。

ここでも、ちきりんさんの誘導に乗ってみると、
「個人主義」がポイントになりそうだなと思いました。

しばらく、この個人主義という方向で、考えてみます。

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個人主義のもとでは、国王と王妃は別々の個人です。
なので、国王が失政した責任を、王妃が負う必要はありませ
ん。

マリーアントワネットの例で言えば、
純粋に彼女じしんの行動に、現代的な意味での犯罪があったかどうか、
だけで判断するべきです。

わたしは歴史に詳しくないので、彼女に犯罪行為があったかどうかは知りません。
ですが、ぜいたくな生活をしていたことだけを取り上げるなら、
それは現代的に見れば犯罪ではないので、そもそも彼女は裁かれません。
ただし、国の財政を圧迫しているのなら、その生活レベルを落とされる強制力は働くでしょう。
それでも、処刑とか更生といった話にはならないと思います。

同様のことは、親と子にもあてはまります。
ちきりんさんは1つ目の記事で、ニコライ2世の子供たちを取り上げています。
ロシア革命で、ニコライ2世と一緒に殺された子供たちです。

これも、親の行為は関係なく、その子じしんの行動で、犯罪があったかどうかで判断されます。
子どもなのでおそらくは、裁かれること自体が無かったでしょう。
(※もちろん現実は、政治的に判断され、処刑されたわけです。理屈ではありません)

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一方、昭和天皇の例でいえば、
昭和天皇の決断が戦争に影響無かったとはいえないでしょうから、
なんらかの理由では裁かれることになりそうです。

処刑か更生かは、その影響力の大きさによりけりでしょう。
このとき、わたしの思い出す昭和天皇像は、井上章一さんの「狂気と王権」という本に描かれる昭和天皇のイメージなのですが、それを考えると「更生かなぁ」と思います。

狂気と王権 (講談社学術文庫)
井上章一
講談社
2014-11-28


詳しい理由を書くと、井上さんの書籍のネタバレになりそうですが、
昭和天皇と、秩父宮親王との関係が描かれている部分がカギになります。

なお、この本は以前ツイッターでも紹介しましたが、
歴史の本とは思えないほど面白いので、
ぜひ読んでみてください。

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よって、ちきりんさんに歩み寄った回答としては、

(答え2):裁かれるかどうか、また裁かれたとして処刑か更生かは、その人個人の行為のみで判断される。マリーアントワネットは裁かれない。昭和天皇は処刑されず更生。

となります。

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ちょっとここで寄り道をします。

この問題、考えている途中で、「吸収合併された会社」に似ているなと思いました。

  • 会社Aのルールで、経営が傾き、
  • 【会社Aが倒産寸前に、会社Bに吸収合併され】
  • 会社Bのルールで事業継続

この場合、ルールは企業文化と読み替えてもいいかもしれません。
そしてこの状況は、上記の歴史上の革命や戦争と、同じ構造をしています。

わたし自身は、企業合併を経験したことはないのですが、
会社Aの元取締役を、
処刑する(閑職に追いやって退職を促す)か、
更生させる(会社Bの企業文化を再教育してでゴリゴリ働かせる)か
というのは、きわめて政治的に判断されそうです。

この問題を、いつでもうまく解決する理屈って、果たしてあるのでしょうか。
たぶん、ひとつの理屈だけで決まるのではなくて、
その元取締役の政治力とか、人脈とか、
キャラクターや雰囲気みたいなもので、決まりそうな気がします。

理想的には、処刑でも更生でもなく、
「会社Aと会社Bがシナジー効果を発揮して・・・」
みたいな未来になれば良いのでしょう。

でも、必ずしもそういった会社ばかりではないはずです。
とすれば、それぞれ個別に、処刑するか更生するかしているはずです。

また、この問題を、会社Aの元取締役の立場になって想像すると、胃がキリキリしそうです。

  • 会社Aが続いていたかもしれない未来に、
  • 実際には会社Bの命令のもとで働く、
  • そして会社Bの企業文化に合わせるよう再教育させられる

という、価値観の衝突が起こるような気がするからです。

まあ、経営が傾いた経営者は、みなさん同じような胃のキリキリ感があるのかもしれません。

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さてさて、答え2までやってきて、
「これもなんだか面白くないなぁ」と思ってしまいます。
あまりにも問題作成者(ちきりんさん)の考えに寄り添い過ぎています。

回答にオリジナリティが無いというか、
ちきりんさんの誘導通りに回答しただけのような、物足りなさです。

じゃあ、ちきりんさんと距離を取りつつ、とはいえ完全に拒絶することのない、
そんな回答は、ないものでしょうか。

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なんとなく思いつくのは、「分人主義」という考えです。
個人は1つではなく、複数の側面があるという考え方です。

本人としては、ルールAのままと思いこんでいても良くて、
対外的にはルールBに順応しそうな部分だけが取り出される、
そんなシステムを作る、というような・・・。

実際にそんなシステムを用意するのは、
コストがかかりそうなので実現しないだろうとは思いますが。

しかしこの方法であれば、処刑も更生も要らないことになります。

とはいえ、なんだか、都合がよすぎるような気もします。
すっきりはしない回答です。

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いまのところ、3番目の答えになりそうな、スッキリしたものは見つかっていません。

ですが、先ほどの吸収合併の事例を考えてみれば分かる通り、
この問題は、
「ルールが変わる前後、それを当事者としてまたいだ人をどう判断するか」という、
より一般化された問題に発展しそうです。

これは歴史を題材にした働き方の問題なのかなぁ、
というのが、今回の考えてみた結果です。

今後も、ときどき考えてみようと思います。

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