訂正しやすい雰囲気をつくる

働き方

東浩紀著「訂正する力」を読みました。

本書は、

  • 哲学者である著者が、
  • 現代日本の時事も盛り込みつつ、
  • 哲学的理論を背景に、実存的な生き方や社会のあり方をおすすめするものです。

東浩紀さんは、株式会社ゲンロンという会社を興し、中小企業の経営もやっていたようです。

哲学者的な理論と、経営者的な時事とを取り入れつつ、どのように生きていくかの実存を語る構成になっており、新書としてこの3つがバランスよく配置されているという構成のようです。


ただし、この「訂正する力」は、ちょっとわかりにくいです。

歴史修正主義のようなものとは、もちろん違うようなのですが、反証可能性とも違うし、交換可能性とも違うもののようです。

過去の歴史をさかのぼりつつ、「じつは・・・だった」というやり方で、現代の諸問題について、解決策を与えようとする試みのようです。


個人の生き方のレベルで、訂正する力を考えると、仕事などでこれまでのやり方を変えていく方法論となります。

たとえば、本書では、オリンピックのことで非を認められなくなった猪瀬直樹さんの事例が挙げられていましたが、過去の発言や、やったことの訂正をしやすい雰囲気があることは、仕事を円滑に進めていくために、重要なことのように思います。

お互いが、「ぶれない」「譲らない」雰囲気のままで、仕事をやっていくのはつらいことでしょう。


また、社会全体のレベルで見たときの訂正する力とは、芸術分野でのルネサンスみたいなことなのかなと思いました。

見た目の様相は、ガラッと変わるのだけれど、内実的には古典復興になっているという意味で、近いものを感じました。

もしそうなら、ジョルジョ・ヴァザーリの書いたような「列伝」が必要になるでしょう。

わたしはあまり文系方面に詳しくないので、もうすでにあるのかもしれませんが、現代日本で、訂正する力を実行している人のストーリーがまとまっていると、その影響力が大きくなるのかもしれません。