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碧海寿広著「仏像と日本人」を読みました。
本書は、
- 社会学(とくに宗教)の研究者である著者が、
- 仏像の鑑賞に対する日本人の意識を整理し、
- 明治、大正、昭和前期、後期ごとに、その特徴をまとめたものです。
仏像を鑑賞するとき、ほとんどのひとは、仏教のことなど知らないと思います。
博物館や美術館に展示されている展示物として見ることがほとんどでしょう。
しかし、そのような信仰心の無い鑑賞は、明治近代以降に表れたものと言います。
それ以前は、そもそも「美術」という言葉さえなかったからです。
とはいえ、信仰心をまったく感じないかというと、そんなことも無く、
仏像を通して、仏教に関心を深めるひともいるでしょう。
そのような、美学的鑑賞と、宗教的信仰のあいだを、
時代ごとに追っているのが、本書の内容です。
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本書の目次を引用しておきます。
序章 仏像巡りの基層
第1章 日本美術史の構築と仏教 明治期
第2章 教養と古寺巡礼 大正期
第3章 戦時下の宗教復興 昭和戦前期
第4章 仏像写真の時代 昭和戦後期1
第5章 観光と宗教の交錯 昭和戦後期2
終章 仏像巡りの現在
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目次からもわかる通り、本書はほぼ時系列に章立てされています。
- 第1章では、フェノロサなどが、
- 第2章では、和辻哲郎などが、
- 第3章では、高村光太郎などが、
- 第4章では、土門拳などが、
- 第5章では、白洲正子などが、
- そして終章では、いとうせいこうなどが、
それぞれ考察の対象となります。
彼らの書いた仏像観をもとに、
筆者はそれぞれの時代の特徴をまとめていきます。
特に和辻哲郎の「古寺巡礼」は、一度読んでみたいと思いました。
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それにしても、本書にはさまざまな文化人が出てきて、
彼らの顔写真とセットで紹介されています。
しかし、坂口安吾だけは、なぜか海パン姿の写真でしたw
しかも、中年以降のたるんだお腹の写真で、決して見てくれの良い写真ではありません。
そのわりに、坂口は胸を張って写真に写っているので、本人は満足だったのかもしれませんがw
著者はなにか、坂口に恨みでもあるのでしょうかw
坂口の写真というと、汚部屋で寝そべって物を書いている写真が多いので、
海パンの写真は意外でした。
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まあ、そんな話は置いておいて、
本書は、仏像をどうやって鑑賞するかを考察することで、
その裏側にある、観光産業への考察もされています。
東浩紀著「観光客の哲学」などを参照しながら、
仏像巡りと観光との違いや共通性なども書かれています。
わたしが一番意外だったのは、第5章で紹介されている梅棹忠夫さんです。
梅棹さんによれば、
観光は、人間をごう慢にする一方、人間を卑屈にもする。
と言って、京都の観光地化に否定的な態度を取った記事があります。
これはつまり、観光客はごう慢になる一方で、観光地に住む人は、卑屈になるのではないか、
という指摘です。
この指摘は、言われてみれば確かにそうかもしれないなと思いました。
観光地のしたたかさを持たなければ、
毎日違うひとが観光に来るような場所で生きるのは大変です。
卑屈になってもおかしくないでしょう。
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とはいえ、現在では、梅棹さん自身が、観光資源化してしまっています。
わたしは、コロナ前、万博公園そばにある国立民族学博物館で、
梅棹忠夫展を見たことがあります。
(もしかしたら常設展だったかもしれません)
そこでは、梅棹さんの書いたカードを、たくさん見ることができました。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」にも紹介されている、「京大式カード」の現物です。
手帳好きな方なら分かってくれると思いますが、本当に良い展示でした。
梅棹さんはもう亡くなっているので、これから卑屈になるも何もないのですが、
観光に対する梅棹さんのスタンスについては、もう少し調べてみたいなと思いました。
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本書は、読み終えると仏像を見に行きたくなると思います。
コロナで、なかなか難しいところではありますが、
またワクチンを打って、ある程度世の中が落ち着いてきたら、
ぜひ古寺巡礼も含めて、歩き回ってみたいなと思います。
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